映画『未来へつづく声』 

 福岡シネラのトルコ映画特集でオズジャン・アルペル(Ozcan Alper)監督の映画『未来へつづく声』(原題:Future Lasts Forever/2011年/35ミリ/108分)をみる。

 エピグラフはチェザレ・パヴェーゼ(→wiki)の慰霊にまつわる作品の一節。そして、馬が地面に崩れるシーンへ。

 主人公は、イスタンブールの大学で音楽民族学を研究するスムル。彼女は鎮魂歌や哀歌の収集活動をおこなっており、クルド人の哀歌を録音するために、トルコ南東部の都市、ディヤルバクル(→wiki)に向かう。

 ディヤルバクルは人口の大半をクルド人が占める街だ。トルコの総人口は約8,000万人。そのうち1,500~2,000万人がクルド人だと言われている。当地はティグリス川に臨む交通の要地で、古代アルメニア王国の首都があったことでも知られている。

 スムルは、シネマテークを運営する映画マニアのアフメットの協力を得て、映像センターでクルド人の古老たちの証言や哀歌を集めていく。また、録音機材を抱えて街を歩きまわり、クルド人たちの生活を物語る都市の「音」に触れていく。
 路地が続く古い街並みの一角には、アルメニア教会が立っている。なかに入り、管理人のアンタルティキに話を聴く。
 スムルが哀歌を収集し始めたのは、幼い頃に録音された祖母の声をうっかり消してしまったことに由来する。それは祖母の唯一のかたみだった。彼女の祖母は、アルメニア語のある方言を話していた。

 彼女がイスタンブールからはるばる1300キロ離れた当地を訪れた理由は、もう一つあった。かつて交際していた恋人のハルーンが、PKK(→wiki:クルディスタン労働者党)の武装闘争に身を投じ、3年前から行方不明になっていたのだ。ハルーンは、ディヤルバクルからさらに500キロ東方、イラクとの国境に近いハッキャリで生まれ育った。スムルとアフメットは、クルド人の独立闘争が盛んで、軍用機がしきりに飛び交うハッキャリへと向かう……。

 二人は朝霧の立ち込める水辺を散歩する。朝に特有の、鶏やカエルや複数の鳥の声がくっきりと再現されて心地よい。映画をみたときはディヤルバクルがどこにあるのか知らなかったので、黒海沿岸かと思っていたが、地図で見たところ、どうやらディヤルバクルとハッキャリの間にあるヴァン湖のようだ。



 トルコの民族構成は複雑だ。主要な人口であるトルコ人は、広大な中央ユーラシアで遊牧騎馬民族国家を築いた人びとの子孫。つまり、かつて移住してきた人びとの子孫だ。ボアズキョイやアラジャホユックの古代遺跡を残したヒッタイト族は、隣国ペルシアと同じく印欧語族だ。ヒッタイト帝国の崩壊後は、同じ印欧語族のフリギア王国が勃興し、南ウクライナで勢力を誇ったキンメリア人がそれに取って代わり、間もなくリュディアの天下となった。その後、東からペルシア帝国が拡大し、西からアレクサンドロス大王の遠征があり、続いてヘレニズム諸王朝の支配下に置かれる。印欧語族の一派によるアルメニア王国は、ディヤルバクルを首都として、BC190年からBC66年まで独立した王国だった。ローマの拡大に伴ってキリスト教が広まり、ビザンツ帝国のもとでアナトリアはコンスタンティノーブルを中核とする世界に組み込まれたが、南からイスラム王朝が急拡大。ビザンツ帝国とイスラム勢の勢力均衡は600年続き、11世紀にようやくトルコ系遊牧王朝のセルジューク朝の人びとが流入してきた。幾度となくトルコ系、モンゴル系の侵入が相次ぎ、13世紀末に現れたトルコ人族長オスマン1世の軍事集団が、オスマン帝国の起源となるが、コンスタンティノーブルを陥落させたのは15世紀のことだ。

 主人公スムルは、顔つきからみてトルコ系というよりヨーロッパ人に近い。民族的ルーツはトルコ住民によって、さまざまなのだ。なお、近代以降のトルコ人、アルメニア人、クルド人の関係については、wiki:アルメニア人虐殺に書いてある。

 アフメットは、25年後に何してると思う?と尋ねるスムルに対し、「黒海沿岸を自転車でぐるっと回って、チェホフの村を訪ね…」と話す。トルコとロシアは「歴史的に犬猿の仲(だからトルコは日露戦争に勝利した日本が好き)」というイメージが日本では根強いが、トルコは先述の通り多様な人びとで成り立っており、両者の関係はより複雑化している。
 ソ連崩壊に伴う中央アジア諸国の独立は、トルコと中央アジアの文化・経済的な結びつきを強める格好の機会となった。これは「失地回復」を願うロシア人たちの間に「ユーラシアニズム」(→ブログ)が蔓延する要因にもなった。原油価格の高止まりで、2000年代のロシア経済は好調に推移したが、トルコもまた、ゼロ年代に飛躍的な経済成長を遂げた。しかし一方で、イラク、シリア、イスラム原理主義、クルド人をめぐる情勢は今もなお混沌としている。イラクのクルド人もいくつかの勢力に分かれており、トルコ国内のクルド人と一体というわけでもない。エマニュエル・トッド(→ブログ)が言う「トルコはいわば「内戦状態にある」という言葉は決して誇張ではない。日々刻々と変化するトルコの政治情勢は新聞・テレビで報道されるが、ネットでざっくり掴むにはこのあたり(→ニューズウィーク日本版2017.7.24)かな。
 半島(文明の十字路)と極東の島国、民族構成、人口構成(→人口ピラミッド:トルコ2016)、紛争地域との隣接性など違いはいくつかあるが、トルコと同じくユーラシア大陸の辺縁部に位置し、北朝鮮の核による挑発を受ける日本も、いつトルコのような状態に陥っても不思議でない状況下にある。



 本映画は、『シリア・モナムール』(→ブログ)等と同じく「リベラル好み」の多文化共生主義に基づいているが、抑制が効いている(トルコ当局との妥協という解釈もあろうが)ので、昨今のリベラルの性急な「アグレッシブネス」をあまり感じさせない。

 エンディングは氷雪のアナトリア高原。映像は美しいが、音楽が感傷的すぎる気がした。

 前半にアフメットが、巨大なレーニン像の頭部を輸送する映像をみるシーンがある。9月末に視聴したゲンロンカフェの貝澤哉×乗松亨平×東浩紀鼎談(9/30)で少し触れていて印象に残った、海中のレーニン像(→RUSSIA BEYOND 2016.11.01 海中に暮らすレーニン)を、つい思い出してしまったよ。

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