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映画『立ち去った女』(1) 

 YCAMでラブ・ディアス監督・脚本・編集・撮影の映画『立ち去った女』を観る。

 原題 Ang Babaeng Humayo/フィリピン/2016/モノクロ/228分/1.85:1。配給・宣伝は『淵に立つ』と同様、マジックアワー

 映画は冒頭、ラジオニュースの声によって始まる。具体的な日付が提示される。1997年6月30日。香港の主権がイギリスから中国に返還される日の前日だ。
 それは、南シナ海を中心とした東南アジアの地政学的状況が、がらりとシフトしたことを示す象徴的な日付と言ってよい。欧米(日本)がグローバル経済を支配した時代から、超大国・中国が台頭する時代へ。冷戦終結とみて、米軍は92年までに撤退した。
 ニュースは、フィリピンで多発する誘拐事件により、中国系の事業者が撤退して、経済基盤が弱体化することへの懸念を伝える。
 映画は農場で働く女性二人の様子を映している。主人公ホラシアと友人ペトラ。子どもたちに詩を朗読して聴かせるペトラ。勉強を教えるホラシア。しかし、彼女たちは幽囚の身だ。
 無実の殺人罪で30年間、収監された元教師のホラシアはある日、所長に呼び出され、釈放を告げられる。殺人の実行犯は友人ペトラだった。黒幕は昔の恋人で実業家のロドリゴ・トリニダッド。彼はホラシアが別の男と結婚したことを恨んでいた。夫はすでに亡くなり、娘と30年ぶりに再会するホラシア。彼女は復讐のためにロドリゴのいる島へと向かう――。

 島でホラシアは貧しい人びとと出会う。道端でバロット(あひるの卵)を売る男、頭の弱い物乞いの女マメン、暴行されて倒れた女装の男ホランダ。
バロット売りは言う。「トリニダッド家はホテルやリゾートを経営する大地主だ。金持ちは神父と仲が良い。寄付金の額が違うからな」。教会を訪ねるホラシア。教会に寝泊まりするマメンは言う「ここに来るのはみんな悪魔なのよ。魔王の子たち。ここにもあそこにも悪魔がいる。悪魔だらけ」。そして、女装の男ホランダがホラシアの運命に深く関わっていく――。



 映画はとても古典的なつくりだ。緻密な構図。1シーン1カットの多用。定点カメラ。奥行の強調。俳優の出入り・位置・移動まで細かく計算されている。登場人物の造形は、典型的といえば典型的だが、丹念に描かれているため、注意が持続する。

 南国はやはり夜が際立つ。エドワード・ヤンが『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(→ブログ)で描いた台北よりもさらに1500キロ南の海上に浮かぶフィリピン・北ラナオ州某島の夜。わずかばかりの街灯のあかり、音もなく閃く雷光、べとつく雨。

 ワン・ビン(王兵)の『三姉妹~雲南の子』やアピチャッポン・ウィーラセタクンの『世紀の光』など、極端な長回しや観察的なカメラ、希薄な物語性といった特徴をもつ映画は、スローシネマと呼ばれ、『立ち去った女』もそれに含まれると言われる。本作の場合、上映時間は228分と長いが、復讐譚という物語の幹があるため、シネフィルでない人でも退屈せずに観ることができるだろう。膨大な量の人工物に埋め尽くされ、他人に急き立てられながら暮らす人も、この映画を見れば、他人やモノとの関係をひとつひとつ記憶しながら味わうには、ゆったりとした時間が欠かせないことを、あらためて感得するに違いない。

 坂の上に停まった車のかたわらでホランダがゆらゆらと踊る場面、ホラシアがマメンの髪を洗う場面などは深く印象に残る。

 『立ち去った女』(2)に続く。

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