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a+u Mar2018 

 a+u 3月号の特集は、新しい歴史の創造~第2回シカゴ建築ビエンナーレのその後。  2015年に始まったシカゴ建築ビエンナーレの芸術監督シャロン・ジョンストン(Sharon Jonston)とマーク・リー(Mark Lee)がゲスト・エディターを務め、前編ではおもに建築史家マイケル・ヘイズ(→wiki:K.Michael_Hays)との鼎談。後編では参加建築家の実作やプロジェクトを紹介。

 マイケル・ヘイズの言葉を少しだけ引用。
「建築の力を働かせるには、地道に形態分析を続けるしかない。形態をわかりやすく言い換えるのでも、ただ表面をなぞるような読み方でもなく、深く読み込むこと」。
「デザイナーにも歴史を学んでほしいというのは、そうしないと物事を別の角度から見ることができなくなるからです」「過去には今の私たちとはまるで異なる発想をしていた時代もあった」。
 これは建築デザイナーだけに求められることではないだろう。

 ざっとみて印象に残ったのは、中国の建築家たち。

 Zhang Ke(→archdailyタグ)が2001年に設立したZAO/Standardarchitecture、及びEmbaixadaによるチベット・ニャンゴウ・ボートターミナル(→archdaily関連記事)。ニャン川とヤルツァンポ川の合流する地点にある。ZAOについてはこちらも。

 あと、今年1月号(→ブログ)でも紹介されていたアーキユニオン・アーキテクツによるウエストバンド・アート・エキシビジョン・エリアのアート集団Chi She展示スペース(2016)。  外壁は、古い建物から回収した再生煉瓦をKUKA(→wiki)のロボットアームで組み立てている。
 アーキユニオン・アーキテクツはPhilip F. Yuanが2003年に創設した建築事務所。70人以上のデザイナーが在籍。ロボット技術や建築工業化といったデジタル技術と中国の伝統的文化の融合を目指している。

 最後は、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したラファエル・モネオ(→wiki)のインタビュー記事。
 コールハースがS,M,L,XLの各スケールを現代建築を理解するキータームとしたことを評価する一方、彼のビッグネス理論に賛同するには路面部分の処理についての熟考が必要、と説く。

 最後に「ウィキに頼る傾向を早く変えなくては!」

 みんな! wikiやarchdailyに頼らずa+uやGAを読もう!

 アメリカ中西部の中心シカゴは、1840年の段階で人口はわずか4500人だった。それが、ヨーロッパ移民の増大に伴い、70年に30万人にまで膨張。71年の大火、73年の経済危機を乗り越え、1890年には百万人を超え、1893年には電気の威力を大々的に示したシカゴ万博(→wiki)が開催される大都市となる。
 建築評論家のポール・ゴールドバーガーは、摩天楼の定義として①鉄骨造、②エレベータの設置、③垂直性の強調をあげている。この条件を満たす世界初の摩天楼は、ニューヨーク・ホーム・インシュアランスのシカゴ支店(1885)と言われている。設計者はウィリアム・ル・バロン・ジェニー(→wiki)。その後、オーディトリアム・ビル(1889/シカゴ)やウェインランドビル(1891/セントルイス)を設計し、シカゴ万博で中心的役割を担って「シカゴ派」を牽引したルイス・サリヴァン(→wiki)は、ジェニーの設計事務所で勤務した経験をもつ。アメリカの鉄鋼生産量は、1890年代にイギリスを抜いて世界一となった。
 ちなみに、先日観た『クレマスターサイクル3』の舞台の一つ、NYグゲンハイム美術館を設計したフランク・ロイド・ライトは、ルイス・サリヴァン事務所で頭角を現した。

 しかし、摩天楼の中心はその後、NYマンハッタンにシフトしていく。シカゴは周辺地域の製造業の衰退にしたがって1960年頃より人口減少が続き、1980年代前半には市域人口がロサンゼルスに抜かれることとなった。

 参考文献:


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