映画『盗馬賊』 

 福岡シネラの中国映画特集で『盗馬賊』(カラーシネスコ/99分/1986)を観る。

 監督は『青い凧』(1993)で知られる田壮壮(→wiki)。

 舞台は1923年のチベット。
 冒頭は、タルチョがはためく高原とチベット仏教の僧侶たち。マニ車、鈴の音、読経。群がる野鳥。おそらく鳥葬(→wiki)の様子をあらわすのだろう。

 主人公のローブルは、困窮のあまり馬泥棒や強盗をおこなう。あるとき奪った品を寺院に寄進し、神を冒涜したかどで、妻と幼子とともに村から追放される。家族3人の流浪の旅は厳しく、子どもは病死。残された夫婦は贖罪のため祈りに明け暮れる。祈りが通じたのか、やがて二人目の子どもが授かりるが、いっぽう人びとの間で疫病が流行する……。

 現在の「政治的正しさ」や「多文化共生」の風潮に馴れ親しんだ者としては、およそ90年代以前のハリウッド映画で描かれた「アジア」像に覚えたのと同じ感情が蘇ってきて正直、抵抗を覚えた。第一、チベット人同士が中国語で会話するというのがなんともツライところ。あと、主人公が後に襲撃する相手が、漢族ではなく、イスラム商人(頭にかぶっていたのは確か白いイスラム帽)というのも。

 ただ、制作は1986年だから、これは監督の責任というより当時の中国政府による「指導」が厳しかったということだろう。

 現在は、ペマ・ツェテンの『ティメー・クンデンを探して』やソンタルジャの『陽に灼けた道』など、チベット人自身がチベット語で映画を撮る時代となった。

 時代背景を1923年に設定した理由は何だろう。
 wiki:チベットの歴史(2018.4.13)によると、孫文は1921年にチベット人・モンゴル人・ウイグル人を中華民族として同化し、単一民族国家を目指すことを明言。1920年代前半は、イギリス主導でチベットの近代化が推し進められ、チベット軍が急激に勢力を伸ばし、1923年、パンチェン・ラマ9世がこれに反対して中華民国に亡命した。ダライ・ラマ13世は軍司令官をクビにして、20年代後半にはイギリスと疎遠になったという。
 映画では、舞台が村落ということもあり、政治事情は描写されないが、なんとなく事情はうっすら伝わってくる。

 ネガティブなことを書いたが、映画としてはドキュメンタリー風と幻想的な映像が入り混じって悪くなかった。

 雪解け水が流れとなって合流し、川となる様子が丁寧に描かれている。ヤクや羊、山羊などおびただしい数の動物たちが映るシーンは圧巻。川の真ん中にマニ車が設けられ、その下をゆっくりと動物の死骸が流れてきて、主人公が疫病の流行に気づく場面は背筋が冷えた。白い山羊の死骸を埋めていく村人たち。

 瞿小松(チュイ・シャオソン→wiki:Qu Xiao Song)の音楽が良い。いくつかのチベット楽器が映し出される。
 私家版 楽器辞典によれば、チチベットのほら貝はトゥンカル。小型シンバルはティンシャというらしい。ディジュリドゥっぽい音を出していた長い管楽器が気になった。

 タール寺のチャム(仮面劇)や「水鎮の儀礼」の様子が映し出され、チベットの伝統文化のアーカイブとなっている。紙吹雪が舞う儀礼が映っていたが、あれはちょっと演出っぽいなあ。昔、張芸謀 (→wiki)の『菊豆』(1990)を観て、農村部の習俗をシュールレアルに撮っていたのを想い出した。西安映画製作所があの時代に手掛けた手法なのかな?

 製作時期が1986年というと昔、上海~青海省~チベットを旅行した時期に近いので、懐かしさがこみ上げてくる。無数のろうそくの炎を前に主人公が祈るシーンでは、ヤクバターの匂いの記憶さえ蘇ってきた。タール寺というのは、西寧郊外にある、あのタール寺のことだろうか。あそこで確か防寒着としてチベタンコートを買った気がする。

 この日は後で、福岡市博物館の『アンギアーリの闘い』展をみる。
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