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秋芳洞に行く 

 有名な観光地は1度訪ねるとそれでOKという感じで、「すぐ近所にある」とか「想い出の場所」とかでない限りあまり再訪しないものだ。そこで観光地側としては時に大きなイベントを行うことで再訪を促すことになる。「秋芳洞」開洞100周年祭記念イベントの『光響ファンタジー・水と大地の神秘』もその一つだ。私も山口に帰郷して以来、たまには行ってみようかと思いつつも積極的な気持ちになれなかったが、別料金無しにライトアップショーが観られるのであれば、ということで、小学校の遠足以来、数十年ぶりに秋芳洞を訪れた。

 今回は黒谷口からの下りコースを取ることにする。
 まずは長いトンネルをくぐる。
黒谷口トンネル

 下↓画像は「くらげの滝のぼり」。やはり鍾乳石というのは面白い。
クラゲの滝昇り

 下↓画像は秋芳洞のシンボルの一つ「黄金柱」。
黄金柱

 下↓画像は傘づくし。数分間のプログラムで音楽が鳴り響き照明の色が変化する。
傘づくし1
傘づくし2

 日曜日の朝一で行ったのだが、すでに家族連れで一杯である。
通路

 「広庭」を抜けて秋芳洞のもう一つのシンボル「百枚皿」へ。
百枚皿1
百枚皿3
百枚皿4

 青天井~長淵あたり。天井の高さ30メートル、幅は50メートル近くあるそうだ。地下にこれだけ広大な空間があり、底を川が流れているという景観は、滅多にお目にかかれるものではない。
青天井
青天井2

 出口が見えてきた。
exit2
exit1
 秋芳洞の起源を紐解くと、1904年に大田鉱山(美東町)の経営のため山口を訪れた滋賀県出身の鉱山師・梅原文次郎が、現在の秋芳洞のベースとなった「滝穴」の話を聞いて観光開発を思い立ったのがきっかけである。
 洞窟や鍾乳洞がいつから観光の対象になったのか定かでないが、日本ではそれまで修験道の「胎内くぐり」として利用される程度だったと思われる。1894年に出版されてベストセラーとなった『日本風景論』(志賀重昂著)は、近代日本の風景と観光を語る上で欠かせない書だが、加藤典洋『日本風景論』によると、この書はそれまでの「日本三景」的な名所的風景を背景とした日本人の景観意識を大きく変容させるとともに、「日本」という新たな単一共同体の意識をもたらしたという。梅原ももしかすると志賀重昂の書を読んでいたかもしれない。
 梅原は、英国王立地学協会会員で当時、山口高等商業学校(現山口大学)の英語教師をしていたエドワード・ガントレットに学術調査を依頼し、「滝穴」が世界的に見ても稀少であることを確信する。梅原が日露戦争に勝利して勢いづく日本で一大観光事業を興そうと私財を投げ打ち、大規模な滝穴開窟式を開催したのが、100年前の1909年ということである。それ以来、秋芳洞にはおよそ6350万人の人が訪れたそうだ。
秋芳洞入口

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