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アニメ映画『手をなくした少女』 

 YCAMで、セバスチャン・ローデンバック監督のアニメ映画『手をなくした少女』(原題 La Jeune Fille sans mains/フランス/2016/1:1.85/76分)を観る。

 ディストリビューションは、ジオラマ映画祭等で知られる土居伸彰のニューディアー。

 概要はこちら(→wiki(英))。あらすじはほぼ、wiki:手なし娘に即している。

 ミニマル・アニメーションといおうか、あるいはわずかであることの豊かさとでもいおうか。

 余白を恐れるかのように背景を絵の具で埋めつくす西洋絵画の伝統とは異なる画風だ。フランス印象派風でもなければドイツ表現主義風でもない。日本のマンガの源流にある昔の鳥獣戯画や禅画、中国の素朴な水墨画を想わせるところもある。つまりは、地域性を超えた普遍性への希求を感じさせる。



 主人公の父親はカネに目がくらんで悪魔の言葉の罠にハマってしまう。少女が樹上から放つ尿の黄金色が、川を流れる黄金に呼応する。ほかにも、授乳、果汁、唾液など身体に密接にかかわる液体が登場して、ミニマルな描写に仄かな生なましさを加えている。

 映画のエンディングに流れる曲はオリビア・メラノ(Olivier Mellano)のwild girl。ただ、アニメは「野性的」というにはフラジャイルだ。

 昔、アール・ブリュットについてあれこれ調べていたとき、台湾の書籍で、アール・ブリュットの訳語として「原生藝術」という言葉を当てていることを知って、これは良い訳語だなあと思ったものだが、本作は原生アニメーションの名こそがふさわしいと思う。

VASCO from Sebastien Laudenbach on Vimeo.



 『ゴッホ 最期の手紙』(→ブログ)と同じく、ディズニー/ピクサーの3DCGアニメでもなく、日本のテレビアニメで培われたセルアニメでもない、独特の手法でつくられたアニメ映画だ。高畑勲の『かぐや姫の物語』監督はそれをクリプトキノグラフィー(Cryptokinography)と呼んでいる。『ゴッホ 最期の手紙』の場合、大勢の画家がゴッホの絵を模写することで手描きアニメを実現しているが、本作の場合、76分の長編アニメを監督がたった一人で作画している(その意味でも「原生」的だ)。

 そこには、人や動植物を線と色の動きだけで描くという、アニメ表現の始原を見つめ直そうという姿勢が見て取れる。

 パンフレットでは、日本ジェンダー学会会長でもある野口芳子(→wiki)によるレビューや『視覚文化「超」講義』の石岡良治による監督インタビュー、土居伸彰のエッセイが読ませる。たまたまアマゾンを覗くと2400円で売っているではないか!(2018年10月末時点)。YCAM上映の際に買っててよかった(700円)^^;。 
 パンフレットによると、ローデンバック監督は、2001年にフランスのプロデューサから、オリヴィエ・ピィ(→wikiが「手なし娘」を翻案して演劇化した「少女、悪魔、水車」の長編アニメ化をもちかけられたが、7年たっても必要な制作資金が集まらず企画はとん挫。しかし、ローデンバックは原作「手なし娘」のストーリーの普遍性に惹かれ続けた。妻の映画監督キアラ・マルタ(Chiara Malta)がフランスのアーティストレジデンスに採択されたことを機会に、一緒に在ローマのフランスアカデミー所有のヴィラ・メディチに滞在し、一年間かけて本作品をつくった。
 インタビューでローデンバック監督はこう語っている。「居場所を見つけるために他人を必要とするということと、自分の居場所を得たうえで、もう一度他人を欲するということ。他人と出会いたい、他人と関係を結びたいという欲望。その両方を描くからこそ、この物語は普遍的だと思います。二人は最終的に関係を作り直します」。

 文中敬称略。

アニメ映画『ゴッホ 最期の手紙』 

YCAMでアニメ映画『ゴッホ 最期の手紙』を観る。

 概要はこちら(→wiki)。

 昨今は高畑勲の『かぐや姫の物語』といい、ウェス・アンダーソンの『犬が島』(→ブログ:YCAM爆音映画祭)といい、ディズニー/ピクサーの3DCGアニメでもなく、日本のテレビアニメで培われたセルアニメでもない、かつてはアートアニメなどでしかみることのなかったような、独特の手法を取り入れた作品が劇場公開される機会が増えてきた。

 本作もその一本だ。

 以下、ネタバレ含む。

 ヴィンセント・ファン・ゴッホが亡くなった翌年の1891年を時代背景に、ゴッホの死の真相をめぐるミステリー仕立てとなっている。主人公の青年アルマン・ルーランは、郵便配達人の父親から、ゴッホが弟テオに宛てて出そうとして出し忘れた手紙を託され、テオを訪ねてパリに赴く。しかし、テオはゴッホの死から半年後に亡くなっていた。関係者を訪ねていくうちに、アルマンは、「自殺」とされていたゴッホの死の真実に接近していく、というもの。ゴーギャンとの関係がこじれた末のゴッホ耳切り事件にも触れている。

 登場人物はほとんど、ゴッホが描いた肖像画のモデルになった人びとだ。
 主人公の父親は、アルルの郵便配達夫ジョゼフ・ルーラン。ゴッホは一時期、肖像画に夢中で、貧しいルーラン一家は、家族総出で小銭稼ぎのためにモデルをつとめており、アルマンの肖像画もある。有名なタンギー爺さんや、ゴッホが通っていた精神科医のポール・ガシェ、その娘マルグリット、家政婦ルイーズ・シュヴァリエが登場する。ほかにも、ゴッホが最後に逗留していた宿の娘アドリーヌ・ラヴーや貸しボート屋、夜のカフェで働くラ・ムスメ(→wiki)――彼女はゴッホ追放の嘆願書に署名――も登場する。

 アルマン・ルーランがゴッホの死の謎を追うというストーリーの根幹はフィクションだろうが、ゴッホの生涯のエピソードや死の背景、登場人物の人物像は、脚本家による丹念な取材をベースにしていると思われる。

 動く絵画に目を奪われて、ストーリーの細部については記憶が曖昧だが、たぶんゴッホの死に関しては、『ファン・ゴッホの生涯』(スティーヴン・ネイフ&グレゴリー・ホワイト・スミス著) の巻末にある「補遺:フィンセントの致命傷に関する注釈」に示された通りだろう。ヴィンセント・ミネリ監督の映画『炎の人ゴッホ』(1956)が公開された際、カーク・ダグラスが演じたゴッホの「聖人伝的イメージ」に違和感を覚えたルネ・スクレタンという82歳のもと銀行家が告白した内容だ。ルネと兄のガストンは、1890年夏、オーヴェルにある父親の別荘で遊んでいて、ゴッホと知り合った。当時19歳の兄、ガストンは芸術や音楽を趣味としており、ゴッホとも親しかったが、16歳のルネは、仲間の悪ガキたちとともに、浮浪者風のゴッホをからかい半分に苛めて遊んでいたのだという。ゴッホを殺した銃は彼がもちこんだものだった。ルネ・スクレタンがゴッホの死に直接的に関わった可能性がある。真実は明らかになっていないが、なんとも苦い話だ。

 監督・脚本はポーランド生まれのドロタ・コビエラとイギリスのヒュー・ウェルチマン。後者は製作者でもある。

 ドロタ・コビエラはワルシャワ芸術アカデミーを卒業後、ワルシャワ映画学校監督学部に入学してアニメーションを研究。短編実写1本と短編アニメ6本を手掛け、『Little Postman』(2011)で世界初の立体視ペインティング・アニメーションを実現し、各地の3D映画祭で高い評価を得た。本作は当初、短編映画として計画されたが、プロジェクトが拡大して95分の長編映画となった。
   彼女の私的パートナーでもあるウェルチマンは、モンティ・パイソンの短編映画で製作の仕事を始め、ブレイクスルー・フィルムを設立。共同製作した『ピーターと狼』(→wiki:Peter and the Wolf (2006 film))はアカデミー短編アニメーション賞や、アヌシー国際アニメフェスの短編部門グランプリなどを受賞。

 撮影監督を務めたトリスタン・オリヴァー(Tristan Oliver)は、ストップモーション・アニメの専門家で、ウェス・アンダーソンの『ファンタスティック Mr.FOX』や『犬が島』の撮影も手掛けた。学生時代にはこちらで少し触れた『アナザー・カントリー』(1984)に出演した経験もある(らしい)。もう一人の撮影監督は、ポーランド生まれのウカシュ・ジャル。パヴェウ・パヴリコフスキ監督の『イーダ』(→wiki)で撮影を務めて高く評価された。

 音楽は、ダーレン・アロノフスキー映画で知られるクリント・マンセル。『ハイ・ライズ』(→ブログ)の音楽も彼。

 本作は125人の選ばれた画家がファン・ゴッホと同じ技法で描いた油絵をベースにしている。パンフレットによると、まずは、俳優たちがゴッホの絵画を忠実に再現したセット、あるいはグリーンバックを背景に演技して、トリスタン・オリヴァーらがそれを撮影し、デジタルの実写映像をつくる。キャラクター・デザイン・ペインターが、俳優たちの特徴を残しつつ、ゴッホの肖像画の風貌・雰囲気を伝えながら、ベースとなるキャラクター・デザイン画を描画。なお、映画では94点のゴッホの絵画がオリジナルに近い形で再現され、さらに31点が部分的に引用されている。
 続いて、ヒュー・ウェルチのブレイクスルー・フィルムが本作のために開発したPAWS(ペインティング・アニメーション・ワークステーションズ)97台を用いて実写映像を67×49センチのキャンバスに投影。
 3日間にわたる採用試験に合格した125人の画家が、トレーニングを受けてゴッホの技法を習得。画家たちは、デザイン画をもとに、担当場面の最初のショットをフルで描いた後、「次のフレームで動きが生じる部分を少しずつ動かして描き直し、ブラシストローク、色使い、インパストを前のフレームと調整することで、ショットのアニメーション化を進めてい」った。各フレームは、Canon6Dを用いて6K解像度で記録され、1秒間に12フレーム、合計で62450枚のフレームから成る本作品となった。パンフレットにはドロタ・コビエラとヒュー・ウェルチマンのほか、プロジェクトに参加した日本の油絵画家、古賀陽子のインタビューも載っている。



 文中敬称略。

デビルマン クライベイビーからミルトンへ。 

 YCAM爆音映画祭で、湯浅政明(→ブログ)のDEVILMAN crybabyを観る。

 Netflixオリジナルアニメとして話題になったが、考えてみると劇場公開を前提にした作品ではないので、爆音上映に適した音の作り方はされていない(と思う)。あと、作品としても、Netflixとの契約条件によるせいかもしれないが、もっと長い時間をかけて取り組んでほしかったなあ、と思う点がいくつかあった。おもに脚本面で。絵としては最初のサバトのあたりにヴィンス・コリンズのサイケ・アニメを想わせるところがあって、そこは面白かった。
 日本のいまの階級をちゃんと描いているところは好印象。主人公の不動明と飛鳥了、ヒロイン・ミキの家庭は、グローバルに活躍するアッパー・ミドルまたは知識階級。いっぽうミキの下半身をつけ狙うゲスな編集者兼カメラマン(元カレ?)は、実家が河川敷に立つ貧しい一軒家。そして、団地育ちのミコ。スーパーアスリート・ミキの転入で、実名のミキと呼ばれなくなった、スポーツでも学力でも性格面でもミキに勝てない女のコだ。永井豪の原作では不良少年グループだった、ラッパー少年たちも家が貧しい。橘玲の『言ってはいけない』騒動を想起させる。

 作品のパンフレット代わりにつくられたBOOTLEGの磯部涼×九龍ジョー対談によると、作品の舞台は川崎で、ミコが花に水をやる逆Y字型が特徴的なブルータルな団地は、河原町公営団地だ。川崎駅西口地区市街地再開発計画(1970年)に伴って建てられたマンモス団地で、最盛期の77年には団地専用の小学校が生徒数1906人を数える市内屈指のマンマス校だったが、生徒減少のため2006年に廃校。現在の住民には独居老人が多いようだ(←東京deep案内(川崎市幸区河原町団地))。昔、仕事場だった事務所が川崎の工場敷地内にあり、大崎の自宅からときおり原付バイクで通勤することがあって、何度か通りかかったことがある。開発計画及び団地の設計は、丹下健三の片腕で、水谷頴介とともに麹町再開発計画(1961)を手掛けた大谷幸夫(→wiki)。余談だがwikiによると、田布施にある北村サヨの天照皇大神宮教(踊る宗教)の本部道場その他も手掛けている(田布施システムかw)。

 途中、少し登場する風俗街は、たぶん堀之内だろう。飾り窓っぽいのが映っていた。

 ミコが、ラッパーの一人と親しくなる過程を描いていて、それが話として好い。日本語ラップなんて、と今までネガティブにとらえていたが、本作を観てちょっと見方が変わってきた。ただ、それだけに二人が悪魔になった以後、もっと見せ場が欲しかった。

 終盤、佳境にはいったところで突然、スクリーンが暗転。機材トラブルらしいが、疑心暗鬼に陥った民衆が、夜中に牧村家を襲撃する場面で、ちょうど「死にたくなかったら外に出ろ!」というセリフの直後だっただけに、タイミング良すぎ。思わず席を立ってスタジオAから飛び出そうと思った、わけではないが、ひょっとして演出かな?と思ったよ。時節柄、爆音ホラーというべきか。今回の爆音は黒沢清を招いてホラー特集やってたし。前兆として映像が何回か暗くなったが、場面的にじつに合致していた。

 永井豪の原作は、日本のマンガ史に刻まれる名作中の名作。庵野秀明のエヴァンゲリオンも、世界設定にデビルマンの大きな影響が感じられる。デビルマンのストーリーは、新約聖書の黙示録や千年王国的終末論、ヨーロッパの悪魔学が下敷きになっている。(永井豪の誕生70周年記念『デビルマン大解剖』の本人インタビューでは、ジョン・ヒューストンの映画『天地創造』(音楽が黛敏郎)は観たが、ほかに聖書の直接的な影響はないという)。ただ、昔、ジョン・ミルトンの『失楽園』を読んだとき、前編で主役級に活躍するサタンは、まさにデビルマンにおけるサタンではないか、と思ったものだ。
 ミルトンは科学革命と啓蒙主義が起きた17世紀の人。ホッブスやデカルト、パスカル、スピノザと同時代で、やや遅れてライプニッツやニュートンが登場した時代だ。ちなみにミルトン(1608-1674)、ホッブス(1588-1679)、デカルト(1596-1650)、パスカル(1623-1662)、スピノザ(1632-1677)、ライプニッツ(1646-1716)、ニュートン(1642-1727)。
 ミルトンは、清教徒革命(→wiki)のヒーロー、クロムウェルを支持した共和党派だった。王権神授説を唱えて議会と対立した国王チャールズ1世は1649年に処刑されたが、ミルトンは、問題視された国王処刑を擁護し、一時期、共和党政権下でラテン語秘書官を務めた。チャールズ1世の父、ジェームズ1世(スコットランド王ジェームズ6世)は自ら『悪魔学』を1597年に著し、国王就任後に、魔女と呼ばれた人びとを弾圧した。魔女狩りが最も盛んだった時期は、ミルトンや清教徒革命の時代と重なっている。わりと知られるルーダンの悪魔憑き事件は1630年だ。ひょっとしたら、ミルトンは『失楽園』のサタンに、クロムウェルのイメージを重ねたのではないだろうか。ウィリアム・ブレイクもオスカー・ワイルドも、『失楽園』の悪魔に魅せられた。ロシアでも、19世紀に最も読まれた外国文学は、『失楽園』だったと何かの本で読んだ。
 清教徒革命の時代には、イスラム世界からコーヒーが伝来し、コーヒーハウス(→wiki)が数多く誕生した。新聞・雑誌の普及と相まって、コーヒーのカフェインで興奮した人びとがさまざまな議論を闘わせるようになった。これらが近代市民社会を支える世論を形成し、イギリス民主主義の基盤を築いたと言われる。
 また、同時期、再洗礼派やクエイカー、ソッツィーニ派(→wiki)、ファミリスト(→wiki:Familia Caritatis)、ランターズ(→wiki:Ranter)、第五王国派(→wiki:Fifth Monarchists)等といった宗教的なラディカル・セクトが跋扈。社会改革を強く主張し、既成の秩序の転覆を企てようとした。なかにはディガーズ(→コトバンク,→wiki:Diggers)のような、共産主義的民衆運動を先駆ける者たちまでいた。しかし、クロムウェルは中産階級の支持を得て政権を掌握すると、今度は独裁者となり、ともに戦った急進派たちを弾圧する側にまわった。
 ただ、クロムウェルが病死し、その息子が後を継ぐと、共和派は求心力を失い、王政復古に至る。ミルトンは追われる立場となった。王党派のパンフレットには、『悪魔的反逆者ミルトンに対する・・・』というタイトルのものや、彼に自殺を勧める文面まであった。
 『失楽園』が出版される直前の1665年には、ロンドンでペストが大流行し、翌66年には有名なロンドン大火が発生。市民は黙示録的な光景を目の当たりにしたに違いない。同じ年、アイザック・ニュートンは、万有引力の法則を発見した。

 ニュートンのリンゴの話を持ち出すつもりはないが、西欧では禁断の知恵の実とは「リンゴ」のことだとしばしば言われる。ロンドン王立協会の創立が1660年、ポール・ロワイヤル論理学が1662年、フランス科学アカデミーの創設が1666年。人類はこの時期、決定的な「禁断の木の実」を口にして楽園を追われ、後戻りできない道をたどることとなったのだと言われる日が来るかもしれない。リンゴのシンボリズムは、チューリングやマッキントッシュ&iPhoneのアップルにもつながる。

【追記】2018.9.9
 そういえば、今年はメアリー・シェリーが匿名で『フランケンシュタイン』を出版してちょうど200年目。バイオアート関係で、2018年のフランケンシュタイン」展@GYRE(→美術手帖レポート記事)のような催しが開かれている。メアリー・シェリーは本作品を書くにあたって、ミルトンの『失楽園』を参考にしている。共通するテーマは、創造物による創造主への反乱。このテーマはシンギュラリティやAI脅威論が叫ばれる現在、リドリー・スコットの昨今の作品(『プロメテウス』や『エイリアン:コヴェナント』等にも引き継がれている。