映画『草原の河』 

須崎公園

 KBCシネマでソンタルジャ監督の映画『草原の河』をみる。

 幼い子どもと動物が登場する映画というのは、それだけで「感動ポルノ」ではないかと警戒感が騒いだが、『陽に灼けた道』(→ブログ)のソンタルジャならそんなに安易なイメージに堕するとも思えず、足を運んだ次第(1か月近く立ったが^^;)。



 舞台は監督の故郷である中国・青海省の同徳県。海抜は3000メートルほどで、剥き出しの大地が広がるチベット高原とは異なり、黄みがかった緑の草原が果てしなく続いている。

 主人公のヤンチェン・ラモは、6歳になっても母親の乳房を恋しがる少女。父のグル、母ルクドルと3人で、伝統的な牧羊生活を営んでいる。
 山々が抱く氷がとけ、草原に流れ込んで小川をつくる春、グルは村人から行者様(父)の様子がおかしいと聞く。
 彼は、ヤンチェンを連れて、村から離れた洞窟のなかで仏教修行を続ける父に食糧を届けようとする。ところが、酒に酔ったままオートバイで薄氷の河川に突っ込み、転倒。見舞いの品々を水浸しにしてしまう。グルは父親との間にわだかまりがあり、直接会おうとしない。
 夏の放牧地に早々と移り住んだ一家は、母羊を亡くした子羊を育てることにする。ヤンチェンは子羊をジャンチャと名付けて可愛がる。いっぽう、母親の妊娠に気づいて、母の愛情が自分から離れるのではないかと不安に駆られる。そんなとき……。

 『陽に灼けた道』でも重要な役割を果たしたオートバイが、本作でも頻繁に登場する。
 中国は大きな経済成長を遂げ、都会に住む人々は、日本と変わらぬ(スマホ決済など、分野によっては日本より進んだところもある)暮らしをしている。しかし、内陸の青海省で牧羊を営むチベット族にとっては、自動車はまだまだ貴重品だ。

 ハーバード大学感覚民族誌学ラボの『Sweetglass』(→ブログ)でも牧羊業の様子が描かれたが、チベット族がおこなう伝統的な牧羊は、現在でも近代化の波をほとんど浴びていない。彼らは基本的に村落内で暮らすが、夏の間だけ遠く離れた放牧地に移って麦を植え、羊たちに新鮮な牧草を食べさせる。居住テントの移動は村が共同保有するトラックでおこなう。



 映画は、幼いヤンチェンが遭遇する生と死の残酷、グルと父親の静かな葛藤を丹念に描いている。ただ、多少ステロタイプにもみえた。ヤンチェンがイジメに遭うシーンは、もっと生なましく描いて欲しかったが、子どもの暴力描写に対する中国政府の検閲が厳しいせいだろう、抽象的な処理がされていた。

 あと、確かにチベット族全員がチベット仏教の敬虔な信徒ではないし、家族を顧みず修行に明け暮れる父への苦い気持ちがあってもおかしくないが、チベット仏教徒と中国共産党との長年にわたる抗争と抑圧の歴史を考えると、監督の中国政府への「配慮」を感じてしまった。
 だからといって、現在の中国に対する強い抗議を期待してことさらに残念がるつもりもない。映画はあくまでも基本的に中国市場向けであり、都会生活に倦んだ中国人民にノスタルジーを感じさせることを主眼にしている(ように感じた)。改革開放後の激変の中国で育った者の父親への複雑な気持ち、近代的人工物の急増とともに失われていく伝統文化への愛情は、国境を越えてよく伝わってきた。

 パンフレットに載った監督のプロフィールによると、ソンタルジャは1973年生。牧畜民の間で育ち、父から仏教画(タンカ)を学び青海師範大学の美術科に入学。卒業後、小学校の美術教師や美術館キュレーターとして務め、1994~2000年に50以上の絵画作品を描く。その後、奨学金を得て北京電影学院(チェン・カイコーやチャン・イーモウ等を輩出)に学ぶ。当学院で知り合ったペマ・ツェテン監督の『静かなるマニ石』や『オールドドッグ』(→ブログ)で撮影監督を務めたあと、2011年に『陽に灼けた道』(→ブログ)を発表して多くの映画賞を受賞した。本作は長編第2作。

牯嶺街

土井ヶ浜の大賀ハス 

土井ヶ浜の大賀ハス

 土井ヶ浜人類学ミュージアムの敷地内には、大賀ハスを植えた湿生花園がある。

 ハスは好きな植物の一つだ。
 花の色・形が良いのはもちろんだが、花だけで言えばハス以外にもキレイな種類がいくつもある。ただ、一般に「美しい」とされる花は、鑑賞目的で品種改良されていることが多い。
 それに対してこの大賀ハスは、wiki:大賀ハスにあるように、今から2000年以上前の泥炭層で採取された種から育ったハスを移植したものだ。人工的改変の余地がない。
(もはやこのブログが扱う対象は、アート(Art)どころか人工物(Artifact)ですらないw)。

 花弁の姿形も良いが、陽光を浴びて黄金色に輝く花拓が良い。ハスという和名はハチの巣に似たこの花拓の形に由来する。大賀ハスが示す通り、堅牢な花拓は2000年以上もの長期にわたって種を守る。その意味で、ハスの花拓は永遠性のシンボルと言える。

土井ヶ浜の大賀ハス

 ハスの魅力は花だけではない。花茎も葉も地下茎も魅力的だ。円形の葉の貨鼻と呼ばれる中心部から二十数本の葉脈が放射状に伸びる姿は実に見事だ。葉には撥水性があるので、雨水や朝露が水玉状になる(→wiki:ロータス効果)。そのさまが実に清浄なのだ。仏教で言うアムリット(甘露)はハスの玉露に由来するのかもしれない。

 地下茎は言うまでもなくレンコンだ。蓮田から抜き取ったところは観たことがないが、スーパーの棚に並ぶ泥付きレンコンをみるだけでもホレボレする(大げさかなw)。レンコンの穴は、空気を茎や根に送るための通気孔だ。

土井ヶ浜の大賀ハス 土井ヶ浜の大賀ハス 土井ヶ浜の大賀ハス
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 ハスの花(蓮華)は仏教の花として知られるが、仏教だけでなくバラモン教やヒンドゥー教でも特権的な意味を与えられている。
 たとえばヒンドゥー教の女神の一柱ラクシュミーは、ハスをもつ女性(パドマーヴァティー)という別名をもつ。これは仏教に取り入れられ、日本では伝統的に「吉祥天」としてあがめられてきた。また、タントラに関わるネパールのカーリー女神は、血塗られた刃やハサミ、人の生首とともにハスの花を持っている。 
 最近、ペマ・ツェテンの『ティメー・クンデンを探して』やソンタルジャの『天空の河』(→ブログ)などチベット映画をいくつか見たが、チベットに密教をもたらしたパドマサンバヴァ(→wiki)も、蓮華に生まれし者という意味をもつ。
 インド・ネパール以外でも、古代ペルシア人はハスを太陽の化身と考えたし、エジプトではハスを光と生の神オシリスに捧げたと伝えられる。
 紀元前数世紀に成立したヤジュル・ヴェーダの天啓文書の一つ『タイッティリーヤ・ブラーフマナ』では、宇宙の起源として、原初に存在した水の中からハスの茎が伸びてきたと書いている。
 『リグ・ヴェーダ』は白花と青花のハスに言及している。 青いハスはプシュカラ(湖・匙のくぼみ)。そういえば昔、インド旅行したとき、ラジャスタン州のプシュカル(→wiki)というキャメル・フェスティバルで有名な湖畔の聖地に寄ったなあ。

プシュカールの猿
プシュカルはサルの多いところだった。『怪物はささやく』のキング・コングといい、カーサ・ブルータス動物園特集といい、最近は脳裏にサルがまとわりついているかのようだ。